世の中には、器用な人もいれば、
人生も、人それぞれ、様々だ。
私も、これまで様々な経験をしてきた。
嬉しいことも、悲しいことも、 苦しいことも、楽しいことも。
これからも、
私の人生は、人からすると 曲がりくねった道に見えるかもしれない。
でも、どんなことがあっても、 私は私らしく真っ直ぐに進んでいく。
人々の生活を支えるライフライン、水道。
蛇口をひねれば、 いつでもどこでも清潔な水が使える。
そんな当たり前の日常を支える。
私たちは人知れずインフラを整備し、
一般の人々には見えない、 地味で泥臭い仕事だ。
しかし、その責任は重大だ。
誇りを胸に、誠意を込めて仕事に取り組む。
見えない部分だからこそ、
妥協は許されない。代表取締役
鈴木勇治SUZUKI.YUJI
33歳の頃から、経営、財務、営業に専念するようになり、毎晩19時半就寝、毎朝2時半起床の生活。
早朝から2時間半の経営や資格取得の勉強、1時間の筋トレを行うことが日課。
2024年時点
- 宅地建物取引士
- 2級ファイナンシャル・ プランニング技能士
- 給水装置工事主任技術者
- 栃木県下水道排水設備工事責任技術者
- 群馬県下水道排水設備工事責任技術者
- 埼玉県下水道排水設備工事責任技術者
- 2級管工事施工管理技士
- 2級土木施工管理技士
- 浄化槽設備士
- 大型自動車第一種免許
- 自由研削用砥石の取替え
- 小型車両系
- アーク溶接
- 足場組立て等
- 職長・安全衛生責任者
- 玉掛け
- ガス溶接
- 小型移動式クレーン
- 高所作業車
- 車両系建設機械(整地他)
- 地山の掘削及び土止め支保工作業主任者
- 水道配水用ポリエチレン管・縫手・施工
- 墜落制止用器具
- JDPA継手接合
がむしゃら(我武者羅)に働いた。
一人ではできない規模の現場を一人でこなした。
必要な資格を取得するためなら、 嫌いな勉強もできた。
現場の仕事が楽しくなった。 働くことが好きになった。
そして、自分がやっていることに 誇りが持てるようになった。
「ブルーカラーであるこの仕事の魅力を
もっと伝えたい」伝えるためには何をするべきなのか、
何を目指すのか、そう考えるようになった。17歳で上京し就労するも、遊びたくなったので1年程で群馬に戻る。
しかし、ずっと気がかりだった自分の限界を確かめに、再度上京。
18歳から、渡嘉敷ジムでプロボクサーを目指し、
厳しい練習に耐えながら、約半年でプロライセンス取得。
20歳でプロデビューを果たし、
リングで躍動する姿を多くの方々にお見せすることができた。
挑戦と挫折が連続する波乱のボクシング人生だったが、
キャリアで4勝3敗という結果を残し、
23歳でボクシングの世界から退くことになる。
この経験は私自身の根幹を作る要素として
今も尚、私を強く支えている。
学業はそっちのけで
最終学歴は中卒、その後16歳で少年院送致。
不良っていうほどかっこいいものではなく、
ただの不良品だった俺の冷めない熱は模索を続け、
自分自身が比類なき者であることを証明する為に
ながら
高みを目指していく。
- 野球をすれば4番
- 徒競走では1番
- 勉強の成績だって悪くはない
- 元気